負けた回数の方を数えてしまう

ガッツ石松というボクサーがいた。

今の僕にとっては、テレビでたまに見かける、少し天然で、どこか憎めないおじさんという印象のほうが強い。でも調べてみると、その姿からは想像できないほど大きな足跡を残した人だった。

ライト級でアジア初の世界チャンピオンになり、「ガッツポーズ」という言葉の語源にもなった。リングの上で我が子を抱き上げる姿も、当時は珍しかったらしい。僕はその映像を後から知った世代だけれど、きっとその時代の人たちにとっては、ただ強いだけではなく、新しい景色を次々に見せてくれる存在だったのだと思う。

戦績を見ると、42戦26勝。

11敗と5引き分けも並んでいる。僕はそこに少し惹かれる。世界チャンピオンと聞くと、無敵で、負けることとは無縁の人を想像してしまう。でも実際には何度も負けて、それでもリングに上がり続けて、最後には世界の頂点までたどり着いた。

ガッツ石松
ガッツ石松

負けたことによって、何かを俺学ぶ人だったんだね。

俺はね、失敗したことは2回繰り返さないのが、ガッツさんのいいとこなんじゃないの❓

自分で自分を褒めたいね。

だから同じ選手と戦って2度負けてないよ。

次には必ず勝ったから。

負けたら悔しいんだよ。

悔しかったら「なぜ負けたか?」を自分で布団に入って考えればいい。

勝った回数よりも、負けた回数のほうが気になってしまう。

たぶん僕自身が、そういう数字の側にいる人間だからだと思う。

テレビや本の中では、成功した回数や栄光の記録ばかりが強調される。何連勝したとか、何歳で結果を出したとか。数字は綺麗に並べられて、まるで人生そのものが一直線に伸びていくグラフみたいに見える。

でも僕は、そういう数字を見るたびに少し居心地が悪くなる。

22歳の時、統合失調症になった。

この世にはこんな種類の絶望があるのか、と本気で思った。自分の人生が突然知らない誰かのものになってしまったような感覚。

だから僕は、順調な話を聞くと少し身構えてしまう。

人生は綺麗な右肩上がりじゃない。

少なくとも僕の人生は違った。

負けて、立ち止まって、ようやく動き出したと思ったらまた転んで。その繰り返しだった。遠回りばかりしている気がして、同年代の人たちが先へ進んでいくのを眺めながら、自分だけ取り残されたような気分になったこともある。

だけど今になって思う。

もし人生が勝ちだけで出来ていたら、僕は今見えている景色を知らなかったかもしれない。

負けた回数が多いからこそ気付けることがある。遠回りしたからこそ見つかる道もある。

もちろん、負けは痛い。できることなら避けたい。

それでも、その痛みを何度も抱えてきた人間にしか分からない景色が、たしかにある気がする。

だから僕は、勝った回数よりも負けた回数に目が行く。

そこには結果だけじゃなくて、その数字になるまで生き延びてきた時間が隠れているからだ。

ご冥福をお祈りいたします。

南無阿弥陀佛

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