
天狗になっている人ほど、人を育てようとはしない。
誰かの欠点を指摘するときも、その人のためというより、自分を守るためだ。相手がもっと良くなればいいと思っているわけではなくて、自分が今いる高い場所から落ちたくないだけなのだと思う。
そういう人は、自信のある人を嫌う。
本当に実力があるかどうかは関係ない。まだ何者でもないのに妙に堂々としている人や、自分の価値を疑っていない人を見ると、心がざわつく。まるで、自分だけのものだと思っていた舞台に、勝手に上がってこられたような気分になるのかもしれない。
それで、早いうちにへし折ろうとする。
相手を小さく見せれば、そのぶん自分が大きく見えるからだ。
でも、それは強さではない。
誰かを押さえつけ続けなければ保てない自信は、思っている以上に脆い。人の可能性を怖がり、人の勢いを恐れ、人を傷つけることでしか自分の輪郭を確かめられない。
そんな生き方。
少し哀しいと思う。
そう思いながら、ふと手が止まる。
僕は今、誰のことを書いているのだろう。
過去に出会った人たちの顔が浮かぶ。でも、その顔を1人ずつ思い出しているうちに、だんだん輪郭がぼやけていく。最後に残るのは、なぜか自分の顔だ。
もしかしたら、そういう人が周りに多かったわけではないのかもしれない。
自分自身が天狗になっていて、その心が鏡のように周囲へ映っていただけ。
人の傲慢さが気になるのは、自分の中にも同じものがあるからだ。人を見下す視線に腹が立つのは、自分もまた誰かを見下したことがあるからだ。
嫌いな人について考えているつもりなのに、気が付けば自分のことを考えている。
そういうことは案外多い。
だから、この話も誰かへの批判ではなく、自分への覚え書きなのだと思う。
高い場所に立ちたいのなら、誰かを押し下げるのではなく、自分の足で登らなければいけない。
当たり前なのに、ときどき忘れてしまうこと。
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