坊主は風邪を引くな ~とか、無理💦~

「坊主は風邪を引くな」という言葉がある。替わりがいないからだそうだ。

子どもの頃の僕は、その言葉を文字どおり受け取っていた。僧侶というのは早寝早起きで、規則正しい生活をして、何となく風邪とは無縁の丈夫な人たちなのだと思っていた。

でも実際に僧侶になってみると、そんなことはなかった。

風邪は引くし、疲れる時は疲れる。お腹も壊すし、眠い時は眠い。ただ服装が少し特殊なだけで、中身はごく普通の人間だ。

それでも僕は今まで、ほとんど風邪を引かなかった。

だからどこかで、自分は風邪に強い体質なのだと思っていた。健康管理には気を付けているし、人前で声を出す仕事だから喉も大事にしている。その積み重ねのおかげなのだと、少しだけ誇らしく思っていた。

でも愛息が保育園に通い始めてから、その考えはあっけなく崩れた。

保育園の洗礼という言葉は知っていた。でも、あれはもっと比喩的な表現だと思っていたのだ。実際には本当に毎週のように風邪をもらってくる。そして僕にも移る。

一緒の布団で寝ているのだから当然と言えば当然なのだけど、あまりにも綺麗に移るので笑ってしまう。

今になって思えば、僕が風邪を引かなかったのは意識が高かったからではなく、人との接触がそれほど多くなかったからなのだろう。

勝手に実力だと思っていたものが、実は環境のおかげだったと知る時は少し恥ずかしい。

今日は朝のお勤めの時から声がおかしかった。

愛息を持ち運び式のチャイルドシートに乗せて読経を始めると、声が少し掠れる。

あれ、と思った。

でもその時は、まだ大丈夫だろうと思っていた。

ところが仕事の勤行でも声は本調子に戻らなかった。

終わった後、

「風邪を引かれました?」

と声を掛けられた。

やっぱり分かるのか、と思った。

毎日お経を唱えているし、喉も多少は鍛えられているはずだから、風邪ぐらいなら押し返せるような気がしていた。でも喉というのは案外正直で、体調の悪さを隠してはくれないらしい。

ありがたいことに、僕は地域では声が良いと評判だそうだ。

「良いお経でした」

「心地よいリズムでした」

「終始聞き惚れていました」

そんな言葉を掛けてもらうことも少なくない。

もちろん、お経そのものの力があってのことだと思う。でも、それでも自分の声を楽しみにしてくださる方がいるのは素直に嬉しい。

その一方で、法話になると話は別だ。

お経を唱えている時は何とかなるのに、自分の言葉で話そうとすると途端に頼りなくなる。

法話の上手な僧侶を見るたびに、本当に同じ人間なのだろうかと思う。

同じ口を使っているはずなのに、不思議なほど違う。

だからせめて声だけは大切にしたい。

今日の掠れた勤行を反省しながら、いつもより丁寧にうがいをした。手洗いもした。

当たり前すぎて意識もしないようなことだけれど、そういう当たり前を続けることが案外難しい。

「坊主は風邪を引くな」

昔の人は厳しい。

でも今の僕には、その言葉が少しだけ身に沁みる。

替わりがいないから、というよりも、僕の声を楽しみにしてくださる方がいるからだ。

次に勤行をする時は、今日より少し良い声を出したい。

そんなことを考えながらトローチを口に放り込んだ、少し情けない1日だった。

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