
育児には休みがない。
そう聞くと大変そうだし、実際、大変だ。夜中に起こされるし、自分の都合なんてほとんど通用しない。仕事だったら、たぶん文句の1つや2つは言っていると思う。でも不思議なことに、その渦中にいるときは、あまり疲れを感じなかった。
愛息が笑う。
それだけで、それまで積み重なっていた睡眠不足とか、予定通りに進まない苛立ちとか、そういうものが一瞬で帳消しになる。帳消しというより、見えなくなる。手品みたいに。さっきまで確かにそこにあったはずなのに、気付けば消えている。
親というのは単純だな、と少し思う。
でも、その単純さに救われてもいた。
愛息の笑顔を見るたびに、今までの苦労が報われたような気持ちになった。実際には何も終わっていないし、むしろ育児なんて終わりの見えない作業の連続なのだけど、それでも「ああ、これでいいのかもしれない」と思わせてくれる顔。その小さな顔に、僕はずいぶん助けられていた。
最近は保育園の時間が長くなった。
少し前までなら、その時間をどう使おうかと考えていたはずなのに、いざ時間ができてみると、僕の中から何かがふっと抜けてしまった。
気が張っていたらしい。
今さら気付く。
張っている最中は、自分が張っていることに気付かない。糸みたいなものだ。切れて初めて、ああ、ずっと引っ張られていたんだなと思う。
保育園に預けて帰宅すると、急に身体が重い。眠い。何もしたくない。今までどこに隠れていたんだというくらいの疲労感。
産後ハイ、という言葉がある。
あれは幸福感に包まれている状態というより、未来のエネルギーを前借りしている状態なのかもしれない。後で返済が来ることを知らないまま、とりあえず使ってしまう感じ。
だから今、僕はその請求書を受け取っている最中なのかもしれない。
それでも少し期待している。
保育園の時間がさらに長くなれば、今の生活にも慣れていくだろうし、この疲れ方にも慣れていくだろう。そのうち昔みたいに、必要な仕事に集中できる時間も戻ってくるかもしれない。
そう考えている。
いや、そう考えたいのかもしれない。
愛息を送り出した後の静かな部屋で、僕はコーヒーを飲みながら、まだ来ていない未来の自分に勝手に期待している。
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