1缶のビール

結婚する前の僕には、摂生という言葉がなかった。

眠くなったら寝て、目が覚めたら起きる。昼夜逆転も当たり前。お腹が空いたら何か食べるけれど、それは生きるための最低限の作業みたいなものだった。お酒だけは別で、飲みたいと思ったら昼でも夜でも飲んでいた。今思うと、あれは生活だったのかもしれない。アルコール依存症と言われても、そんなものかと納得してしまうくらいには飲んでいた。

その不摂生のせいかどうかは分からないけれど、僕の右股関節は壊れた。人工股関節を入れることになった。

当時、今の妻と付き合っていた。手術を前にして、僕は思った以上に弱っていたらしい。普段なら口にしないようなことを口にした。

「介護から始まる恋愛って嫌でしょ」

別れ話のつもりだった。

でも彼女は少しも考え込まずに言った。

「何言っているの。そのために私がいるんじゃない」

その言葉を聞いた瞬間のことを、僕は案外よく覚えている。病気が治ったわけでも、手術がなくなったわけでもないのに、急に先のことが見えた。ああ、この人と生きていくんだな、と。

それで結婚した。

そして今は、子どもがいる。

子どもが生まれてから、僕は自分でも不思議なくらい変わった。妻と2人のときよりも、もっと体調を気にするようになった。あれだけ乱れていた生活リズムは整い、お酒もほとんど飲まなくなった。

昨日、離乳食を1週間分作り終えたご褒美に、久しぶりにビールを1缶だけ飲んだ。

たった1缶なのに、今日の僕は驚くほど調子が悪い。頭は重いし、身体もだるい。

昔はあんなに好きだったのに。

好きだったというより、お酒を飲んで現実逃避していただけかもしれない。

もしかしたら、昨日の1缶が人生最後のお酒になるのかもしれないな、と思う。

別に禁酒を誓ったわけではない。ただ、今の僕には、お酒よりも大事なものができてしまっただけだ。

気がつくと、3人で暮らす毎日のなかで、僕は少しずつ成長している。
息子が大きくなっていると思っていたけれど、本当は僕も一緒に育てられているのかもしれない。

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