サイトアイコン とある坊主の猟奇的な日常

15日のたびに

愛息の誕生日は9月15日だ。そのせいか、毎月15日は少し特別な日になる。

本当の誕生日ではないのに、僕たちは毎月お祝いをする。今月はこんなことが出来るようになったとか、この前までは見せなかった表情をするようになったとか、そういう小さな成長を数える。大人になると1ヶ月なんてあっという間なのに、子どもの1ヶ月は驚くほど濃密だ。

ただ、保育園に通い始めてからは、その特別な日が病院の日になることも多い。

7ヶ月目の15日も風邪だった。そして9ヶ月目の今日も病院だった。

受付で診察券を出しながら、「またか」と思う。でも、こうして毎月風邪を引くことも含めて成長なのだろう。保育園でたくさんの菌と出会い、たくさんの子どもたちと出会い、身体の中で何かを覚えていく。親としては早く元気になってほしいけれど、その過程そのものが大事なのかもしれない。

午後からは、来年行われる仲間のお坊さんの晋山式の打合せだった。

晋山式というのは、新しく住職になる僧侶が、そのお寺の法灯を受け継ぐ大切な儀式だ。

一般の人から見ると数時間の法要かもしれない。でも実際には、その何倍もの時間と労力が注ぎ込まれている。

来賓への案内、式次第の作成、記録写真や映像の準備、受付や誘導の段取り、駐車場の確保、関係者との調整。当日を迎えるまでに決めなければならないことが山ほどある。

そして何より、住職になる本人にとっては人生の節目だ。

結婚式とも少し違うし、会社の就任式とも違う。何十年も続いてきた寺の歴史と、これから何十年続いていくかもしれない未来の、その接続点みたいな日。

だからこそ失敗は出来ない。

僕は以前、記念冊子の編集長を務めた。振り返れば1年以上かかった大仕事だった。

原稿の依頼から編集、校正、印刷まで、ずっと頭の片隅にその仕事があった。終わった時には、「ようやく荷物を下ろせた」と本気で思った。

でも、その荷物を置いた場所から少し歩いた先に、もう次の荷物が置いてあった。

それが晋山式だった。

以前、1つの荷物を置いたら、次の荷物がちょっと遠くに置いてある、ということを書いたことがある。

本当にそうだと思う。

人生には「全部終わった」という瞬間がほとんどない。

何かを終えたと思ったら、また別の役目がやって来る。休憩所だと思っていた場所が、次のスタート地点だったりする。

若い頃の僕は、それが少し理不尽に思えた。

頑張ったのだから、しばらく何も背負わなくていいじゃないか、と。

でも最近は考え方が変わった。

荷物を運んでいる時よりも、荷物が何もなくなった時のほうが、かえって不安になる。

誰かのために動くこと。責任を持つこと。そういうものが面倒でありながら、自分を支えてもいる。

病院帰りの愛息を見ながら、午後は晋山式の打合せに向かう。

風邪で少し赤くなった頬と、これから背負うことになる新しい役目。

どちらも思い通りにはならない。でも思い通りにならないものほど、気が付けば人生の真ん中に居座っている。

そう考えると、毎月15日という日は、愛息の成長を祝う日であると同時に、自分自身が今どんな荷物を抱えて歩いているのかを確認する日なのかもしれない。

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