
僕には逃避する癖がある。
嫌なことがあると真正面からぶつかるより、少し横にずれてやり過ごしたくなる。気が付けば、その「少し」が積み重なって、かなり遠くまで来てしまう。
北京とウィーンで過ごした4年間も、今振り返れば立派な挑戦だったと言えるのかもしれない。でも僕の中では、どこか壮大な家出だった気もしている。環境を変えれば何かが変わるんじゃないか、と期待していた。実際に変わったものもあったけれど、自分自身だけは荷物みたいに付いてきた。
薬に対しても似たところがある。
辛いときに飲むと、世界に掛かっていた重たいフィルターが少し薄くなる。胸の奥で鳴っていた警報音も遠ざかる。だからまた飲みたくなる。
だけど薬が切れる頃には、先送りにしていた辛さが利息付きで戻ってくる。慌てて追加して、また少し楽になる。その繰り返し。
主治医は「薬は頼るものではなく、上手に利用するものですよ」と言う。
たぶん、その言葉は正しい。
でも僕はまだ利用している側というより、利用されている側に近い気がする。薬を飲んでいるつもりなのに、いつの間にか薬に生活のリズムを決められている。
薬の奴隷なんて大袈裟な表現だと自分でも思う。それでも、自由になったつもりでいて、実は首輪の長さが少し伸びただけなんじゃないかと思う日がある。
そういうことを考えている時点で、まだ卒業は先なのだろう。
