
今週の月曜日から、愛息の保育園のお迎えが延びて15時過ぎになった。
たった30分とか1時間とか、その程度の違いなのに、僕の中では思った以上に大きかった。
初日は風邪気味だったこともあって、今まで張りつめていたものが一気にほどけた。愛息を送り出したあと、身体の奥に溜まっていた疲れが、やっと順番待ちを終えたみたいに押し寄せてきた。せっかく時間ができたのに、僕はぐったりしていた。
翌日と翌々日は離乳食づくりだった。愛息がいない静かな家で、野菜を刻んだり、お粥を作ったりする。以前なら、愛息を気にしながら作っていたから、今は少しだけ余白がある。その余白が嬉しい。けれど同時に、こんなことで嬉しくなっている自分を見つけて、少し笑ってしまう。数年前の僕なら、もっと大きな自由を求めていたはずなのに。
昨日は保育園を休んで、公園へ行った。
愛息はまだ小さいから、公園に特別な思い出があるわけではないと思う。でも、芝生の上を吹く風とか、遠くで聞こえる子どもたちの声とか、そういうものは身体のどこかに積もっていく気がする。僕自身も、理由は説明できないのに懐かしく感じる風景がある。その正体は、たぶんこういう時間なんだろう。
そして今日、ようやく何も予定のない時間を過ごしている。
のんびりするというのは、案外難しい。時間ができると、僕はすぐに「何か有意義なことをしなければ」と考えてしまう。仕事を増やそうとか、本を読もうとか、文章を書こうとか。空いた時間を空いたままにしておくことに、どこか罪悪感がある。
でも今は、その焦りも少し薄れている。
今までの僕は、育児に追いつこうとして必死だった。愛息の生活リズムに合わせて、自分の生活を組み替えて、その度に息を切らしていた。でも最近は、ようやく同じ速度で歩けるようになってきた気がする。
心にも少し余裕ができた。
だからこそ、焦らずにこの新しいリズムに慣れていきたいと思う。すぐに全部を取り戻そうとすると、また昔の僕が顔を出す。何でも完璧にやろうとして、勝手に疲れてしまう僕。
まずはこの静かな時間に慣れること。
そのあとで、少しずつ仕事を増やしていけばいい。
愛息が保育園で過ごしている時間は、僕に与えられた自由時間というより、次の生活を組み立てるための準備時間なのかもしれない。そんなことを考えながら、今日は久しぶりに、急かされるもののない1日を過ごしている。
