
今日は離乳食作りの日だ。
朝のうちに買いものを済ませて、それから作業を始める。僕は主食担当。お粥を炊いて、野菜を刻んで、奥さんはその横で、おやつになるものを作っていた。
同じキッチンに2人いるだけなのに、ずいぶん気が楽だった。
もしこれを1人でやるなら、まず買いものの時点で少し疲れる。
人参、玉ねぎ、じゃがいも、豆腐、ヨーグルト、果物。
メモを見ながら店内を歩いていると、カゴの中はどんどん重くなる。離乳食の材料は1つ1つは大したことがないのに、全部集まると妙に存在感がある。
レジを済ませて車に積み込む頃には、「今日はもう十分働いた気がするな」と思う。
でも本番はそこからだ。
野菜を茹でる。刻む。潰す。小分けにする。冷凍する。
離乳食作りは料理というより、どちらかと言うと工場のライン作業に近い気がする。同じ動作を繰り返しながら、ひたすら来週の愛息のための在庫を作っていく。
冷凍庫に容器が並んでいく様子を見るのは嫌いじゃない。
ゲームでアイテムを集めるみたいな達成感がある。
ただ、その達成感に辿り着くまでが案外長い。
だから買いものも料理も2人でやると楽だ。
気持ちの重さは半分以下になる。
僕が野菜を刻っている横で、奥さんが別の作業をしている。それだけで、「全部自分がやらなければいけない」という圧迫感が消える。
人間は作業に疲れるというより、背負っている責任の重さに疲れる生き物なのかもしれない。
もちろん、これを1人でやっている人もいる。
仕事をして、子どもの面倒を見て、離乳食を作って、洗濯をして、寝かしつけをしている人もいるだろう。
そういう話を聞くたびに、自分だったら途中で投げ出してしまうかもしれないと思う。
僕は家事がそれほど嫌いではない。それでも離乳食を1週間分まとめて作る日は、朝から少し身構える。
育児というのは、想像していたよりずっとチーム戦だった。
子どもを育てていると、1人ではできないことが本当に多い。
この辺りでは、まだ地域で子どもを育てる空気が少し残っている。
以前、ショッピングセンターへ行ったときのことだ。
通りすがりのおばさんが愛息を見て、「あらあら、かわいいねえ」と近付いてきた。
都会だったら警戒してしまう場面なのかもしれない。
でも、そのおばさんは自然な流れで愛息を抱っこしていて、愛息も当たり前みたいな顔で抱かれていた。
そして僕だけが少し緊張していた。
親というのは不思議なもので、自分の子どもが初対面の人に抱かれていると落ち着かないのに、その子ども本人は楽しそうだったりする。
愛息はおばさんの顔を見上げて笑っていた。
その様子を見ていると、子どもは親だけで育つものではないのだろうなと思う。
いろんな人に声を掛けられて、笑い掛けられて、ときには抱っこされて育っていく。
東京では、子育ては両親2人の責任だという意識が強いと聞く。
責任があるのはその通りだ。
でも責任という言葉ばかりが大きくなると、子育ては急に重たいものになる。
親が頑張る。
周りも少し手を貸す。
そのくらいの方が、人間は息をしやすい気がする。
離乳食を作り終えると冷凍庫に、小さな容器がきれいに並ぶ。
それを見ながら、子どもを育てるというのは、こういう小さな協力の積み重ねなのかもしれないと思った。
