サイトアイコン とある坊主の猟奇的な日常

コーヒー1杯分のゆとり

愛息は4月から慣らし保育に通っている。そして今日、ようやく15時のお迎えになった。

今まではもっと短かった。朝、保育園へ送って帰ってくる。机に向かって勉強や仕事を始める。気付けば昼ごはんを作る時間になっていて、食べ終わった頃にはもうお迎えの準備をしなければならない。

時計ばかり見ていた気がする。

育児をする前は、自分の時間というものが当たり前にあると思っていた。何をするにも、自分の都合で決められた。でも今は違う。生活の中心には愛息がいて、僕はその周りをくるくる回っている。

それが嫌なわけではない。

むしろ、愛息が笑ったり、離乳食をぱくぱく食べたりするだけで嬉しくなるし、寝顔を見ていると、つい頬がゆるむ。

ただ、その嬉しさだけで走り続けられるほど、人間は器用ではないらしい。

保育園に子どもを預けたら、まず近所のカフェに行くというお母さんが多いと聞いたことがある。以前の僕なら、そんなに休みたいものなのかなと思っていた。

でも今なら分かる。

育児は楽しいけれど、ずっと誰かのために動き続ける生活でもある。

だから今日は久しぶりに、寺務室でコーヒーを飲んだ。

湯気の立つカップを机の上に置いて、誰にも呼ばれずに座っている。それだけのことなのに、頭の中に積み重なっていた考えが少しずつ整理されていく。

次はあれをやろう。あの連絡も返しておこう。

そんなことを考えながらコーヒーを飲んでいる時間が、思った以上にありがたかった。

もちろん、愛息がいないのは寂しい。

家の中は静かで、おもちゃの音もしない。つい数か月前までは当たり前だった静けさなのに、今は少し物足りなく感じる。

それでも、何もかも抱え込んでしまうのは違うのだろう。

親が疲れ切って笑えなくなってしまったら、きっと子どももそれを感じ取る。

どんな高価な教材や習い事よりも、親が楽しそうに笑っていることの方が大切だと聞いたことがある。僕はその言葉が好きだ。

保育士さんの仕事は、子どもを預かることではなく、笑顔で両親のもとへ返すことだという話も聞いた。

子どもだけではなく、親も支えてくれているということなのだと思う。

育児は長い。

だからこそ、頑張り過ぎないことも必要なのだろう。

少し余裕を持って、ちゃんと笑って、ごはんを食べて、たまにはコーヒーを飲む。

そんな当たり前のことを大事にしながら、これからも笑顔の絶えない家庭でありたい。

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