
洗濯は、どうにも僕の苦手分野だ。
今の時代の洗濯機は賢い。ボタンを押せば、洗って、すすいで、脱水して、乾燥までしてくれる。子どもの頃に思い描いていた未来そのものだと思う。それなのに、僕は洗濯が好きになれない。
たぶん原因は、その後にある。
乾いた服を取り出して、一枚ずつ畳んで、決まった場所へしまう。その作業になると急にやる気が失せる。洗濯機の中に山のように積まれた衣類を見ながら、「後でやろう」と思い、その「後」がなかなか来ない。
だから家の洗濯は、ほとんど奥さんに任せきりだ。
それでも、僧侶としての変なこだわりだけは持っていて、白衣や足袋など、お坊さんの衣帯だけは自分で洗っている。衣帯が傷むのは避けたいから乾燥機にはかけない。毎日の仕事で身につけるものだからという理由もあるし、大切なものだから普通の服と一緒に洗う気になれないのだ。
こまめに洗えば、それほど大変ではないのだと思う。でも僕は昔から、少しずつ片付けるよりも、まとめて終わらせたい性格だった。
だから足袋も、履いたものをためておいて、仕立ててもらった12足が一巡した頃にまとめて洗う。
足袋の裏は意外と汚れる。お寺の境内を歩いたり、法事で檀家さんのお宅へ伺ったりしているうちに、気付かないところで黒ずんでいく。だから洗濯機に入れる前に、まずウタマロ石けんで汚れをこする。その時間が少し面倒で、でも手を抜くと白さが戻らない。
洗い終わった後は、1足ずつ形を整えながらシワを伸ばして干す。風に揺れている真っ白な足袋を見ると、ようやく終わったという気持ちになる。面倒だと思いながらも、汚れていたものがきれいになるのを見るのは嫌いではない。
それでも、やっぱり面倒くさい。
洗濯機が自動でほとんどの工程をやってくれる時代なのに、僕はその最後のひと手間が億劫で仕方ない。
だから時々、「洗濯機が全部やってくれるじゃない?」と本気で不思議そうに言う奥さんを見ると、すごいなと思う。
僕には面倒な家事の代表格に見えるものが、奥さんにはそれほど大きな負担ではないらしい。
毎日出る洗濯物を回して、乾いたら畳んで、家族それぞれの場所へしまう。その繰り返しを当たり前のように続けている。
愛息の小さな服まで増えた今は、以前よりずっと洗濯物も多いはずだ。保育園へ行くようになってからは、着替えやタオルも増えた。小さな服なのに数だけはしっかりあって、洗濯かごの中で存在感を主張している。
それなのに奥さんは、大変だと口にしたことはない。
洗濯物の山を前にしてうんざりしている僕からすると、それだけで十分に尊敬に値することだった。
夫婦になると、相手のすごさは特別な場面よりも、こういう何気ない日常の中で見えてくるのかもしれない。
