サイトアイコン とある坊主の猟奇的な日常

哺乳瓶を洗わなくなる日

育児で一杯一杯だった頃のことを思い返そうとしても、細かい記憶はあまり残っていない。

たぶん毎日が似ていたからだと思う。ミルクを作って、おむつを替えて、寝かしつけて、泣いたら抱っこして。ようやく寝たと思ったら、次のミルクの時間が近づいている。そんなふうに、一日というものが細かく刻まれていた。

時計を見ていたはずなのに、振り返ると時間の感覚が曖昧だ。あの頃は一週間が長かったのか短かったのかもよく分からない。ただ、いつも何かに追われていた気がする。

最近になって、愛息が保育園へ行くようになった。

朝、保育園へ送り届けて家に戻ると、部屋の中が驚くほど静かだ。以前は当たり前だった静けさなのに、今は少し不思議に感じる。誰もいない部屋でお茶を飲んでいると、自分の生活の中にほんの少しだけ余白が戻ってきたことに気づく。

もちろん、暇になったわけではない。

離乳食は三回食になったし、洗濯物も増える一方だ。料理担当のパパとしては、毎日なかなか忙しい。栄養のことを考えながら献立を決め、野菜を柔らかく茹でて、小さく刻む。自分一人なら適当に済ませてしまうような食事でも、息子のためとなると妙に真面目になる。

不思議なもので、子どもが生まれる前より確実に料理をしている。

包丁の使い方も少し上手になったし、冷蔵庫の中身を見て献立を考えるのも以前ほど苦ではなくなった。人は必要に迫られると成長するらしい。

最近は大人と似たようなものも食べられるようになった。

こちらが口に運んだものを一生懸命もぐもぐして、飲み込んだあとに満足そうな顔をする。その表情を見ていると、自分が作った料理で誰かが喜んでくれるということの嬉しさを知る。

飲食店の料理人が、お客さんの「美味しい」のために頑張れる理由が少しだけ分かる気がした。

一方で、保育園生活は思った以上に過酷だった。

慣らし保育が始まったら少しずつ時間が延びていくのだろうと思っていたのに、現実はそう簡単ではない。保育園に行って数日すると風邪をもらってきて休む。治ったと思ったら、また別の風邪をもらってくる。

小さな体で鼻水を垂らしながら眠っている姿を見るとかわいそうになるけれど、保育園に通う子どもたちはみんなこうやって強くなっていくらしい。

今は長く感じるけれど、きっと数年後には「あの頃は毎週熱を出していたね」と笑い話になるのだろう。

そう考えると、不思議と気持ちは少し楽になる。

そして最近、ふと気づいたことがある。

哺乳瓶を洗う回数が減った。

いや、減ったというより、終わりが見えてきた。

今までどれだけの哺乳瓶を洗ったのだろう。

眠い目をこすりながら夜中に洗ったこともあったし、流し台に並んだ哺乳瓶を見てため息をついたこともあった。

そのときは面倒だと思っていたのに、卒乳が近づいてくると少しだけ寂しい。

子育てというのは不思議だ。

早く終わってほしいと思っていたことほど、終わる頃には惜しくなる。

寝返りができなかった頃も、ずり這いを始めた頃も、つかまり立ちを覚えた頃も、その時々では大変だったはずなのに、過ぎてしまうと愛おしい思い出になる。

毎日一緒にいると成長はゆっくりに見える。

けれど、写真フォルダを遡ると確かに大きくなっている。

赤ちゃんだったはずの息子は、少しずつ幼児になろうとしている。

最近、ようやく心に余裕が生まれてきた。

だからこれからは、こうした何でもない日々をブログに残していけたらと思う。

特別な出来事があった日だけではなく、風邪を引いた日も、離乳食をこぼした日も、保育園で泣いた日も、何もなかった日も。

いつか息子が大きくなったときに読み返したら、そこには育児の記録というより、家族が少しずつ形を作っていった時間そのものが残っている気がする。

モバイルバージョンを終了